時計の針が七時を十分ほど過ぎた頃、新一は玄関の前で怒りを顕わにしていた。
「何で真っ暗なんだよ。アイツら、七時には帰れとか言っといて、自分たちがいねーじゃねーか!」
出掛ける前に、平次に『七時頃には帰ってくるか』と聞かれたので、てっきり家で自分の帰りを待っているものだと思っていたのだ。
それが、家に帰ってみると、家中闇に包まれていたのである。新一が、思わず愚痴ってしまったのも無理はない。
「ったく…。別に誕生日祝って欲しいわけじゃねぇけどさ…」
そう、先刻哀にプレゼントを貰うまで自分でも忘れていたのだが、今日は五月四日、新一の誕生日だったのだ。
同時に、三人が新一の家で共同生活を始めてからちょうど一年目でもあった。
だから何だ、と言われればそれまでだが、新一にとっては大事な記念日だった。
新一の両親は、年中海外を飛び廻っていたので、ほとんど家にはいなかった。その為、新一は物心ついた頃から、家で一人という事が多かった。
そのうえ、高校に入る前に両親がL.A.に拠点を置いたため、三年間ほどは完全な一人暮しだった。
もちろん“コナン”だったときは蘭の家にいたのだが…。
どうしようもなく淋しい夜でも、何かうれしい事があったときでも、いつも家には自分しかいなかった。それがこの一年、うるさいほど賑やかなあの二人が家にいた。
時々は、一人で過ごす静かな時間が欲しいとも思ったが、楽しかった。
まぁ、あの二人にとっては別に何でもない一年だったのかもしれないが…。
溜息をつきながら、新一は玄関からリビングへと向かった。
一周年を祝おうと買った、小さなケーキの箱を持って。
暗い廊下を歩き、リビングのドアの前でまた深い溜息…。
誰もいない真っ暗なリビングが、新一は嫌いだった。
しかし、ケーキを持って自分の部屋に戻るわけにもいかず、リビングのドアを開ける。
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン
ドアを開けると同時に聞こえた正体不明の音に驚いて、新一が一歩後ずさった直後、リビングの電気がつけられた。
「HAPPY BIRTHDAY 新一♪」
イントネーションは違ったが異口同音に言われて、新一は面食らった。見ると、リビングはまるで幼稚園の誕生日会のような飾り付けが施されている。
そこに立っていたのは、もちろん同居人の平次と快斗。二人とも、左手にこぼれんほどのクラッカーを持っている。
おそらく、今日の朝二人がこそこそと相談していたのは、この事だったのだろう。
新一は、おそらく二人が考えている以上に嬉しがっている自分を悟られないように、わざと不機嫌な表情で言う。
「お前ら、何歳なんだよ。…ったく、大体、誕生日を祝う年でもねぇだろうが」
だが、精一杯のポーカーフェイスも、付き合いの長い二人には通用しなかった。
「そんな憎まれ口叩いてもアカンで。嬉しくてしゃーないくせに」
「そうだぜ、新一。お前の考えなんて、この快斗様にはお見通しなんだからな」
そう言われておとなしく引き下がるほど、新一は大人ではなかった。
「っせーな。大体何だよ、この飾り付け。今どき幼稚園でもこんな飾り付けしないんじゃねぇか?ま、お前らの考えることが幼稚園レベルだってことだよな」
その言葉に、二人の片方の眉がピクリと動く。そして、二人で顔を見合わせ、互いを指差し合う。
「平次が言ったんだぜ。リビングいっぱいの飾り付けしようって…」
「言い出したんは俺やけど、快斗の方が張り切ってたやんか」
「それはお前に合わせてやったんだよ」
「嘘つけや。折り紙切りながら鼻歌歌っとったんはどこの誰やねん」
新一は、そういうところが幼稚園レベルだろ、と思いながらもしばらく黙って聞いていた。が、このままでは終わりそうにない、と思い直し、間に割って入った。
「平次も快斗もいいかげんにしろよ。オレの誕生日、祝ってくれるんだろ」
「そうや。言い争ってる場合ちゃうやん」
「そうそう。あ、新一、とりあえず着替えてこいよ」
新一は、いきなり態度を変えた二人に呆れつつ、ケーキの箱を快斗に預け二階に上がった。
家着に着替えて、下に降りて行く。今度は明かりが漏れているリビングに入って、再び新一は驚いた。
さっきは何も乗っていなかったテーブルの上に、大きなケーキと、様々な料理が所狭しと並べられていたのである。
「主役が何やってるんや。ほら、座った座った」
いつの間に二階に上がったのか、階段を降りてきた平次は、呆気にとられている新一の背を押し、ソファに座らせる。
「快斗ー、新一降りてきたでー」
キッチンの方から、『わかった』と快斗の声が聞こえ、すぐにグラス三つとシャンパンを持った快斗がリビングへ入って来る。
快斗は、「はいよ」と言いながら、どうもまだ場の雰囲気について行けていない新一にグラスを手渡し、シャンパンを注ぐ。そして自分と平次の分も注いでから、ケーキのロウソクに火を点けだした。
最後のロウソクに火が点くのとほぼ同時に、リビングの電気が消えた。驚く間もなく、“HAPPY BIRTHDAY TO YOU”の合唱――と言っても二人だが――が始まる。
半ば呆れつつ、しかし不覚にも感動してしまった新一は、歌が終わると急いでロウソクを吹き消した。部屋が暗黒に包まれた一瞬をついて、目尻の涙をぬぐう。
平次が灯りをつけ、快斗の音頭で乾杯する。
「二十歳の誕生日おめでとう、新一」
「二十歳に一番乗りやな」
飾らない言葉だけど、いや、飾らない言葉だからこそ、二人が本当に心から祝ってくれていることが分かる。
「サンキュ、平次、快斗」
だから、新一も心からの一言だけを返した。自分の気持ちを二人が分かってくれるのは確信していた。
「なんやねん、今日の新一はえらい素直やんか」
「うるせぇな。せっかく人が素直に礼を言ってんのに」
「まぁまぁ、いーじゃねぇか。俺がせっかく作った料理が冷めるぜ」
快斗に取り成され、料理を食べ始める。普段は新一に甘えて全く料理をしない快斗だが、実は料理の腕はプロ並だったりする。テーブルに並べられた料理は、見た目も味も抜群だった。
それから数時間、いつもと変わらない、しかしどこか違う空気の中、新一の誕生日パーティーが行われた。
ケーキ――これは平次が作ったらしい――を食べ終わると、快斗と平次は後片付けをし始める。
「オレも手伝うよ」
とソファから腰を浮かせたところを、快斗に押し戻された。
「いいって。今日は新一が主役なんだからさ」
「そうやで。俺らが片付けるから、新一は部屋戻ってええで」
せっかく二人がそう言ってくれているので、その言葉に甘え、素直に頷く。
しかし、リビングを出ようとしたところで平次に呼び止められた。
「新一、コレ…プレゼントやねんけど」
照れながら、ブルーのリボンの掛かった包みを手渡す。
「サンキュ…。開けていいか?」
そう聞かれ、ブンブンと音が聞こえそうなほど首を横に振る。
「部屋で開けてくれへんか。なんか恥ずかしいから…」
「ん…別にいいけど。何か変なモン入ってんじゃねぇだろうな」
「入ってへんって」
そのとき、快斗がキッチンから走って戻ってきた。
「あ〜、新一忘れてた」
「ん?なんだよ」
「プレゼント」
そう言ってシルクハットを目の前に差し出す。
訝しげにそれを見る平次と新一を楽しそうに眺め、シルクハットのふちを指先で叩く。
「1,2,3☆」
POMとシルクハットからハトやら紙テープやらが飛び出てくる。怪盗キッドである快斗がシルクハットを持ち出したのだから、何かが出てくるのだろうとは思っていた二人だが、まんまと驚かされてしまった。
「どうぞ、新一」
首を傾げる新一に、シルクハットの中を指差す。
その中には、イエローのリボンの掛かった包みが入っていた。
「あ、ありがと」
「どういたしまして。あ、部屋帰ってから開けてくれよ」
平次と同じことを言うので、思わず笑ってしまった。
「それにしても、えらい手の込んだ渡し方やなぁ。もっとフツーに渡されへんのか?」
「コレが俺のフツーだぜ。俺はマジシャンなもんでね」
「まぁいいじゃん。面白かったし。じゃあ、オレ部屋戻るから。ありがと、オヤスミ」
「おやすみ、ゆっくり寝ぇや」
「おやすみ、また明日な」
部屋に戻り、色の違うリボンの掛かったプレゼントを二つ、ベッドの上に並べた。
「さて、どっちから開けるかな」
そっと、壊れ物を扱うかのようにリボンをほどき、包みを開ける。ひとつ開け、ふたつ目を開けたところで、新一は思わず吹き出してしまった。
平次のプレゼントと、快斗のプレゼント。リボンと包装紙の違うそのふたつのプレゼントは、中身が全く同じものだったのだ。
「あいつら…。どこまで気が合うんだよ」
新一は、何とも言えないあたたかい気持ちを抱き、ベッドの上に転がった。
自然と口元に笑みが浮かぶ。心がぽかぽかとしてくるのを感じた。
これまでの二十年間、色々な誕生日があった。両親からの山のようなプレゼントに驚いた誕生日や、もう少しで爆発に巻き込まれて死ぬところだった誕生日、他にも色々あった。
今日は、どちらかと言えばメチャクチャな誕生日だっただろう。でも、今までのどんな誕生日よりも楽しかった。そんなことを考えながら、二人がくれたプレゼントを枕元に並べる。幸せを噛み締めながら、眠りに落ちていく。
あの二人の誕生日には、それぞれ最高の誕生日になるよう努力しようと誓いながら…。
そして、最高の誕生日をくれた二人の同居人と、これからもずっと一緒にいられるように願いながら…。